甲府地方裁判所都留支部 昭和45年(ワ)6号 判決 1975年3月14日
原告
塚本和
被告
高村建設株式会社
主文
(一) 被告は、原告に対し、金二、二三二、九七一円及び内金二、〇三二、九七一円に対する昭和四四年二月五日以降、内金二〇〇、〇〇〇円に対する本判決言渡の日以降右支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 原告のその余の請求を棄却する。
(三) 訴訟費用は、これを一〇分し、その六を原告、その余を被告の負担とする。
(四) この判決は、仮りに執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し、五、七三七、〇〇〇円及び内金五、二一七、〇〇〇円に対する昭和四二年一月三一日以降、内金五二〇、〇〇〇円に対する本判決の日以降各支払済に至るまで、年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり陳述した。
一 本件事故
昭和四二年一月三一日午後三時頃、大月市猿橋町殿上五二番地先国道上において、原告の運転する単車(以下単に原告車という)が甲府市方面から東京方面に向つて進行中、進行方向右側の横道から国道上に左折しながら進行してきた被告会社の運転手志村武人の運転する大型貨物自動車(山梨八ま一三六、以下単に被告車という)と左側車線上で衝突し、その為原告は後記のような傷害を破つた。
二 被告会社の責任
本件事故は、被告会社の被用者である訴外志村武人が、被告会社の業務のため、被告車を運転し、本件事故現場である国道上に左折進行するに際し、左方(西方)から進行中の原告車を認めながら一時停止又は徐行することなく、原告車が通過するまでに左折を終了し得るものと漫然誤信し、そのまま左折進行を続け、しかも反対側車線(原告車の進行車線)上にまで進出したため、本件事故を発生させるに至つたものである。したがつて被告会社は、自賠法三条及び民法七一五条により原告が被つた後記各損害を賠償すべき義務がある。
三 損害
原告は、本件事故により、原告車を大破した外、右足骨折等の傷害を被り、事故当日である昭和四二年一月三一日から同年八月二日まで大月市民病院に入院加療し、退院後は自宅で加療しながら週二、三回の割合でマツサージ治療を受け、昭和四四年一月二一日から同月二八日まで髄内針抜去のため土浦協同病院に入院、その後同年二月五日まで通院加療した。そのため、原告は次のような損害を被つた。
(一) 付添費 金一八二、〇〇〇円
大月市民病院入院中付添看護を必要とした。
一日金一、〇〇〇円の割合による一八二日分である。
(二) 入院中諸雑費 金四〇〇、〇〇〇円
(三) 退院後の治療費 金一三五、〇〇〇円
原告は、退院後、昭和四四年一月二〇日までの間に、マツサージ代として金九八、〇〇〇円、同年一月二一日以降二月五日までの間、骨髄釘抜去手術のため入院、通院の治療費として金三七、六六〇円の合計金一三五、六六〇円を支出し、同額の損害を被つた。
(四) 逸失利益
原告は、本件事故当時、長柄箒及び手箒を製造元から購入し、これを全国的規模で行商販売していたものであるが、当時これによつて少なくとも月額金三一五、〇〇〇円の販売利益を挙げていた。すなわちその計算の基礎は次のとおりである。
長柄箒の仕入価格は一本につき金三〇〇円ないし五〇〇円であり、原告はこれを金一、〇〇〇円ないし二、〇〇〇円で販売していた。したがつて長柄箒一本の販売利益は金三〇〇円を下ることはない。また手箒の仕入価格は金一五〇円ないし二〇〇円であつて、原告はこれを金五〇〇円ないし六〇〇円で販売していた。したがつて手箒の販売利益は金三五〇円を下ることはない。
原告は、訴外森田箒店から長柄箒約二五〇本、手箒五〇ないし八〇本位、訴外飯塚弥一商店から長柄箒約一五〇本、手箒約五〇本を毎月購入し、これを前記のように販売していた。したがつて原告の箒の行商販売による利益は、長柄箒につき七〇〇円×四〇〇=二八〇、〇〇〇円、手箒につき三五〇円×一〇〇=三五、〇〇〇円の合計金三一五、〇〇〇円を下らない。
右販売利益から経費として金一一五、〇〇〇円を控除した残額金二〇〇、〇〇〇円がその純益である。
(1) 入院期間中の逸失利益
原告は、前記のように大月市民病院に入院加療したため、入院中の六か月余は全く職業に従事することができなかつた。したがつてこの間の逸失利益の総額は金二〇〇、〇〇〇円×六=一、二〇〇、〇〇〇円となる。
(2) 退院後の逸失利益
原告は、前記のように昭和四二年八月二日から大月市民病院退院後も、膝関節の屈伸不能、跛行、患部麻痺等のため、活動力を著るしく阻害され、土浦協同病院での抜釘手術が治癒した昭和四四年二月五日に至るまで、営業(行商)に従事することは殆んど不可能であつた。したがつて、この間の一八か月余りは、少くとも労働能力の半分を失なつたものというべきである。
したがつてこの間の逸失利益の総額は、一〇〇、〇〇〇円×一八=一、八〇〇、〇〇〇円となる。
以上のとおり、原告の本件事故による逸失利益の総額は、金三、〇〇〇、〇〇〇円である。
(五) 慰藉料 金一、五〇〇、〇〇〇円
原告は、本項冒頭に述べたとおり入院・通院をくり返し、長期に亘る治療を余儀なくされたが、大月市民病院を退院したのも、退院可能な状態になつたからではなく、加害者たる被告が治療費生活費等の補償を円滑になさず、加えて原告自宅と入院先とが距離的に著しく離れており、原告の妻は自宅に子供を置いたまま原告に付添わざるを得なかつたため、やむを得ず退院するに至つたものである。又抜釘後も原告の傷害が完全に回復したからではなく、右抜釘後も昭和四四年五月までは通常の仕事に就くことは不可能であつたのであり、同年六月以降も室内における事務程度にしか回復しなかつたのである。昭和四六年九月末に至り、ようやく傷害前の状態に復したものであつて、この間における原告の精神的苦痛は多大であり、右精神的損害に対する慰藉料としては金一、五〇〇、〇〇〇円が相当である。
(六) 原告車両損害金一三五、〇〇〇円
被告は、新車を買つて直す旨を約束した。
以上合計金五、二一七、〇〇〇円
(七) 弁護士費用等金五二〇、〇〇〇円
右のとおり、被告は原告に対し、金五、二一七、〇〇〇円を支払うべき義務があるのに被告はこれに応じない。本件訴訟に伴う弁護士費用として着手金を含み、請求金額の一割を代理人に支払うことを約束した。したがつて弁護士費用は、金五二〇、〇〇〇円である。
四 結論
よつて被告は、原告に対し、金五、七三七、〇〇〇円及び内金五、二一七、〇〇〇円に対する本件事故発生の日である昭和四二年一月三一日以降、内金五二〇、〇〇〇円に対する本件判決の日以降各支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をなすべき義務があるにも拘らず、大月市民病院に対する治療費の支払をなしたのみでその余の支払をしない。よつて原告は、被告に対し、前記各金員の支払を求める。
五 原告に過失があるとする被告の主張を否認する、第二項に述べたとおり本件事故は被告の一方的過失によるものである。被告の一部弁済の抗弁事実中、原告が自賠責保険により金五〇〇、〇〇〇円の支払を受けたことは認めるが、その余は否認する。被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁及び抗弁として次のとおり主張した。
一 原告の請求原因事実中、第一項の本件事故が発生したことは認めるが、傷害の部位程度は不知、同第二項の訴外志村の過失の内容及び被告会社に損害賠償責任があるとする原告の主張を争う、同第三項の事実は不知、その数額を争う、同第四項中、被告が大月市民病院の治療費の支払をしたことのみを認め、その余を争う。
二 過失相殺
本件事故については、原告にも過失がある。すなわち、原告は、その前方六〇ないし九〇メートル前方に被告車を認めながら何の措置もとらず、時速五〇ないし六〇キロメートルで漫然進行したこともその原因をなしているのであるから、本件損害賠償額の算定に当つては、原告の右過失をしんしやくすべきであり、少なくとも二割の過失相殺がなされるべきである。
三 一部弁済
原告は、自賠責保険により金五〇〇、〇〇〇円の支払を受けた外、被告から金一二六、八四五円の支払を受けた。右支払の内訳は、入院治療費(大月市民病院分)金二〇二、八二五円、付添費用金一七五、六八〇円、慰藉料及び体業補償の一部として金二四八、三四〇円である。したがつて右の限度で被告の損害賠償債務は一部消滅した。〔証拠関係略〕
理由
一 請求原因第一項の事実(本件事故とこれによる原告の負傷)は、傷害の部位程度を除き、当事者間に争いがない。
二 同第二項の事実中、訴外志村に運転上の過失があつたことは、その態様はとも角として当事者間に争いがなく(双方の過失の存否・態様とその程度については後に認定するとおりである)、当時訴外志村が被告会社の業務のため、大型貨物自動車を運転中、本件事故を発生させるに至つたものであることは、被告の明らかに争わないところであるから、被告会社は、人身損害につき自賠法三条、物件損害につき民法七一五条の各規定に基き、後記各損害を賠償すべき義務がある。
三 損害
〔証拠略〕によると、次のような事実を認定することができる。
原告は、本件事故により右大腿骨骨折の傷害を被り、事故当日である昭和四二年一月三一日から同年八月二日までの一八四日間、大月市民病院に入院加療した。退院時の状態は骨癒合不良のため、免荷装具を作成し、これを着用したまま退院し、以后自宅で起居しながらマツサージその他の方法で加療につとめるとともに、翌四三年一月一七日までの間、三回同病院に通院加療し、同年六月三日の診断の結果、治癒、抜釘可能と認められた。もつとも、後遺症として長期間に亘る膝関節の拘縮のため、あぐらをかくことは可能であるが、正座は瞬間的にしかできないという診断が同時になされている。翌四四年一月二一日から同月二八日まで土浦協同病院に入院して髄内釘を抜去し、その後同年二月五日まで通院して加療した。そのために原告が被つた損害は次のとおりである。
(一) 付添費 金一八二、〇〇〇円
〔証拠略〕によると前記大月市民病院に入院していた間、付添看護を必要とし、主として原告の妻が付添い、支障のあるときは家政婦等を頼んだことが認められる。そして付添費用を一日金一〇〇〇円とする原告の主張は相当額と認められる。
(二) 入院中諸雑費 金一四七、二〇〇円
原告は、入院中の諸雑費として金四〇〇、〇〇〇円の請求をしているが、その根拠は明らかではない。従つていわゆる定額方式によつて算出するのが相当であるが、入院先と住居地とがかなり離れているため、一般の場合に比し多額を要したであろうことは容易に推定できるので、一日当たり金八〇〇円として算出するのが相当である。よつて入院期間一八四日の諸雑費は合計金一四七、二〇〇円である。なお、原告は〔証拠略〕を提出し、これによつて諸雑費の支出を立証する趣旨と解されるが、その全部を合計してみても、右金額には達しない。
(三) 退院後の治療費 金一三五、〇〇〇円
〔証拠略〕によると、退院後マツサージ代として金九八、〇〇〇円、抜釘手術のため金三七、六六〇円を支出し、そのため少なくとも頭書の損害を被つたことが認められる。
(四) 逸失利益 金一、三八一、五〇〇円
原告本人尋問の結果によると、原告が本件事故当時箒の販売行商をして生計をたてていたことが認められる。そして原告は、右行商により月額金三一五、〇〇〇円の販売利益を挙げ、その内諸経費をさし引いた純益が月額金二〇〇、〇〇〇円であつたと主張し、原告本人尋問の結果はこれと一致する。しかしながら、昭和四一、二年当時の賃金、物価からして、かなりの高額であるにも拘らず、原告本人の供述するところによると、所得の申告をしていないことはもとよりであるばかりでなく、原告の主張を裏付けるに足りる当時の帳簿その他何等の書証も提出されていない。
もつとも、当時の仕入先である訴外飯塚弥一商店及び森田箒店の(販売)証明書(〔証拠略〕)、買受人である訴外吉田弘以下九名の(買受)証明書(〔証拠略〕)が提出されており、これによると原告の主張と一致することになるが、これらはいずれも本件訴訟が提起され、事故後約六年を経過した昭和四七年の年末前後とそれより更に一年後の昭和四八年の年末前後に作成されたものであり、その根拠は必ずしも明らかではなく、当裁判所の心証をひくに足りない。〔証拠略〕によると、右証明書は当時の帳簿が不明であるため、仕切書等の書類に基いて算出したというのであるが、その正確性の程は疑わしい。
〔証拠略〕を総合検討してみても、原告の前記主張を認めるに由なく、したがつてこの点に関する原告の主張はこれを排斥するより外はない。
しかしながら、〔証拠略〕によると、原告が箒販売の行商によつて相当額の収入を得ていたことは明らかであり、当時の男子平均賃金等をも考慮し、その額を一日金三、〇〇〇円と認めるのを相当とする。
(1) 入院中の逸失利益
入院中は全く職業に従事することが不可能であつたことは明らかであるから一日金三、〇〇〇円に入院日数である一八四を乗ずるとその結果は金五五二、〇〇〇円となることが明らかである。
(2) 退院後の逸失利益
前認定のとおり、原告は大月市民病院を退院する際、免荷装具着用のままで退院したのであるから、その当時は全く労働に従事し得なかつたものと認めるのが相当である。また前認定のとおり退院後一〇か月を経過した昭和四三年六月にはすでに抜釘可能の状態となつていたのであるが、なお正座は殆んど不可能な状態であつたから、未だ完全には回復していなかつたものと認められる。しかし、それより約七か月を経過して抜釘手術を行つた頃は殆んど回復したといつてよい状態になつていたものと考えられるので、その全期間を通じ、労働力が半減したものとして損害額を算出するのが相当である。
したがつて金一、五〇〇円に前記期間すなわち昭和四二年八月三日から昭和四四年二月五日までの日数である五五三(昭和四三年は閏年である)を乗じて得た金八二九、五〇〇円がこの間の逸失利益である。
そうすると、原告の逸失利益総額は(1)の金五五二、〇〇〇円と(2)の八二九、五〇〇円の合計金一、三八一、五〇〇円である。
(五) 慰藉料 金一、二〇〇、〇〇〇円
原告が本件事故により多大の精神的苦痛を受けたことは明らかである。そしてその額は、受傷の部位程度、治療に要した日数等諸般の事情をしんしやくすると、金一、二〇〇、〇〇〇円を相当額と認める。
(六) 車両損害 金五〇、〇〇〇円
原告は、原告車両の破損による損害として金一三五、〇〇〇円を主張しているが、金額の根拠が明らかではなく、又被告が新車を買つて返す約であつたと主張するが、そのような事実を認めるに足りる証拠は存在しない。しかしながら〔証拠略〕によると、原告車はヤマハの一二五CCであり、車両前部が大破し、ハンドルが折れ、前輪も曲つて殆んど使用不能となつていること及び訴外志村が原告車両の損害が約五〇、〇〇〇円である旨を取調にあたつていた警察官に述べていることが認められる。したがつて車両破損によつて少なくとも金五〇、〇〇〇円の損害を被つたものと認めることができる。
以上のとおり、原告は本件事故によつて(一)ないし(六)の合計金三、〇九五、七〇〇円の損害を被つたものということができる。なおその外に、〔証拠略〕によると、原告が治療費として合計金二〇三、三七五円を支払い、また〔証拠略〕によると、被告が原告の治療費として合計金二五、六九一円の支出をなしたことを認めることができるので、原告の治療費の合計は金二二九、〇七〇円である(同号証の六に記載されている五、二〇〇円は同号証の九と重複している疑があるのでこれを加算しない)。
したがつて原告が本件事故によつて被つた損害の総額は、右治療費を加算した合計金三、三二四、七七〇円である。
四 過失相殺
〔証拠略〕によると次のような事実を認定することができる。
(一) 本件事故現場は、東京方面より甲府方面に通ずる国道二〇号線上であり、事故現場附近はほぼ直線であつて歩車道の区別はなく、道路幅員は約九・一メートルでその両側に側溝が設けられている。国道と丁字型に交差する幅員約六・五メートルの被告会社の私道があり、この私道から国道に出る際は、東方(東京方面)のみとおしはとも角として、西方(甲府方面)のみとおしは西側角の人家のために視界をさえぎられ、必ずしも良好とはいえない。
(二) 訴外志村は、被告車を運転し、前記交差点を左折して国道上に出ようとして、その出入口附近で左右の交通状況を確かめたところ、右方(東京方面)からの数台の自動車が進行中であつたのでこれをやりすごし、次いで左方(甲府方面)を確認したところ、東進中の単車(原告車)を認めたが、かなり距離があるから、原告車が通過する前に左折を完了することができると判断してそのまま発進し、道路中央部分を越えて殆んど対向車線内にはいつたとき、原告車が予想外に近距離まで進行して来るのを認めて危険を感じ、直ちに停止したところ、殆んど停止と同時位に原告車がスリツプしながら被告車の前部バンバーの中央部分の附近に衝突した。
(三) 一方原告は、原告車を運転し、時速約五〇キロメートル位で甲府方面から東京方面に向い東進中、前方五〇メートルないし六〇メートル位の地点に、右方横道から国道上に進出して来た被告車を発見したが、被告車の方で停止するものと思い、そのまま進行したところ、被告車がセンターラインを越えて自己車線内にはいつてきたので、危険を感じ、直ちに制動したが及ばず、スリツプしながらそのまま被告車の前部に衝突した。
以上の事実を認定することができる。右認定を左右するに足りる証拠はない。右認定事実によると、被告車の運転手である訴外志村は、すでに進行中の原告車を発見していたのであるから、センターライン手前で停止し、原告車の通過をまつてから左折を開始継続すべきであつたのに漫然自車の方が先に左折を完了できると考え、そのまま進行した過失があり、他方原告車としても、すでに五、六〇メートル前方に被告車が進出して来たのを認めたのであるから、その時点で直ちに減速しながら相手車両の動きを注視し、場合によつては更に減速すれば、急停車の措置をとるまでもなく左側端附近を通過することが容易にできたものと認められるから、原告の側にも一端の責任があるといわなくてはならない。
右のような双方の過失の程度を比較考量すると、本件損害賠償の額を算定するに当つては、その二割を減額すべきである。
五 一部弁済
原告が自賠責保険により金五〇〇、〇〇〇円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると、原告が被告から金一一七、七六〇円を本件損害賠償の内金として支払を受けた外、被告において原告のために立替支払をなした分を含め、少なくとも被告の主張する金一二六、八四五円の支払がなされている事実を認めることができる。
従つて被告は原告に対し、原告の被つた損害の総額金三、三二四、七〇〇円の八割、すなわち金二、六五九、八一六円から右金六二六、八四五円を控除した残額金二、〇三二、九七一円の支払義務がある。
六 ところで原告は、本件損害賠償の請求をなすにあたり、事故当日から年五分の利息の支払を求めている。もとより不法行為時において全損害が発生するとともに直ちに履行期が到来するものとされているのであるから、事故当日から遅延損害金の支払を求めることができることは更めて説示するまでもない。
しかしながら、支払をなすべき金額を算定するにあたつては、具体的に額が確定するその都度(例えば支出の時)事故当日まで年五分の割合による中間利息を控除して事故当時における現在額を算出した上、年五分の利息の支払を命ずることになろう。かようなことは現実には殆んど不可能なことであるばかりでなく、無意味ですらある。
したがつて本件のように治療が長引き、この間の逸失利益やそのための慰藉料が損害の大部分であるために、事故当時においてその全損害を確定することが不可能であるような場合には、特段の事情のない限り、全損害が確定するに至つたときはじめて履行期が到来し、その日以降の損害金の請求をなし得るものと解するのが相当である。もしそうでないとすると、予測のできない金額について遅滞の責を負わせることとなり、公平の原則に反することになるからである。
本件においては、遅くとも昭和四四年二月五日に至つてはじめて全損害が確定したものと認められるから、これを遅延損害金の起算日となすべきである。
七 弁護士費用 金二〇〇、〇〇〇円
本件訴訟の経過、認容額等からすると、弁護士費用として金二〇〇、〇〇〇円を被告に負担させるのが相当である。
八 よつて原告の本訴請求中、被告に対し、金二、二三二、九七一円及び内金二、〇三二、九七一円に対する昭和四四年二月五日から、内金二〇〇、〇〇〇円に対する本判決言渡の日からいずれも年五分の割合による金員の支払を求める部分は理由があるから正当としてこれを認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法九二条、仮執行の宣言について同法一九六条一、四項の各規定を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 茅沼英一)
現場見取図
<省略>